期待の大器・三丘翔太、新曲「よこはま埠頭/そんなもん人生」が話題。水谷千重子のトータルプロデュースで覚醒の予感!!!
三丘翔太の7枚目のシングルは大御所・水谷千重子がトータルプロデュースした話題作だ。三丘の師匠・水森英夫の幻のセカンドシングルを現代に蘇らせた「よこはま埠頭」に、水谷が作詞を手がけ、「翔太ちゃんが歌うから面白い!って感じの曲に仕上がった」という自信作「そんなもん人生」の2曲を両A面シングルとして発売。自身最大のヒット曲となる兆しに、人生ケセラセラ!?
「大切な曲をいただいた期待を背負って」
三丘翔太の両A面シングル「よこはま埠頭/そんなもん人生」は、その歌唱力に惚れ込んだ大御所・水谷千重子がトータルプロデュースを務めた話題作だ。2016年1月に「星影の里」でデビューした三丘の7作目となるシングルで、初の両A面シングルとして制作された。作曲は2曲とも三丘の師匠・水森英夫が仕上げた。
「伊勢佐木、本牧、馬車道・・・。横浜は、僕の地元なんですよ。10歳から育った町で青春時代を過ごした場所だから、『よこはま埠頭』をいただいた時はとてもうれしかったですね。横浜も今ではすっかり、きれいになっちゃいました。僕が生まれるはるか前は“みなとみらい(都市再開発地区)”もまだなくて、コンビナートとか工場街とか、人の行き来ではなく貨物の行き来をするところだったじゃないですか。そんな1970年代のちょっと汚れたような、すすけた横浜のイメージが、この曲の曲調にあるんですよね」
「よこはま埠頭」は、1976年に「たった二年と二ヶ月で」で歌手デビューした“水森英夫”のセカンドシングルになる予定だった作品だ。1963年に“三井たかお”として歌手デビューした水森は、1971年に“三音たかお”に改名し、「たった二年と二ヶ月で」をリリースするが、さほど話題とならなかった。
しかし、“水森英夫”としてテイチクレコードから再リリースしたところヒットし、セカンドシングルの準備が進められた。だが、水森が体調を崩して歌手活動を断念したため、「よこはま埠頭」はそのまま埋もれてしまい、45年間、日の目を見ることがなかった。
そんな幻の佳曲を平成生まれの三丘が令和の時代に歌うことになった。主人公が“あの娘”を求めて、港町・横浜の伊勢佐木、本牧、馬車道を彷徨う物語で、“ピヨロピヨロ” “ホロホロ”など擬音語が耳に残るメロディーも愉快だ。
「大切な曲をいただいた期待を背負って、地元・横浜へ恩返しがしたいです」と、三丘は意気込む。だが、師匠の佳曲を歌うことには緊張感も持っている。
「プレッシャーしかないですね。僕は水森先生にとって思い入れの強い作品をいただくことが多くて、新曲のたびに先生はなんでこんなに難題ばかりを与えて来るのだろうって思うんです。7作目のシングルにしてまた、これまでとは別のパターンの難易度の高い歌謡曲をいただきました。先生のところへ通わせていただくようになって今年で10年になるんですけど、こういう作品があることを初めて知りましたし。前作、前々作はオーソドックな演歌を歌わせていただいたので、『よこはま埠頭』のリズムにはびっくりしました。70年代の歌謡曲をシャッフルしたような作品です。今の時代にこれを歌うのかって、すごく驚きました。それと同時に、これが自分の歌になるんだっていう感動もありました。すごい歌が来たな、やったあ!っていう気持ちが。まだまだ期待に応えきれていませんが、師匠孝行を目指して自分を奮い立たせています」
「よこはま埠頭」は誰もが歌える曲ではなかった
「三丘翔太の次の作品はどうしようか」という打ち合わせは、いつも水森英夫の自宅でディレクターとマネージャーの3人で行われるという。三丘本人はその場にいないことが多い。三丘の歌声を意識して水森が用意した候補曲を聴きながら、1回の打ち合わせで3時間ほど意見を出し合う。
今作についての3度目の打ち合わせの時だった。打ち合わせも終わった頃、水森がふと思い出したように「そういえば、こんな曲もあるんだよね」と、脈絡もなく披露したのが「よこはま埠頭」だった。聴いた瞬間、ディレクターもマネージャーも、これまでの9時間の話し合いはなんだったのだろうかと思うほどの衝撃を受けたという。
「『よこはま埠頭』は、心のどこかにずっとひっかかっていた歌です。誰にでも歌えるような歌ではなく、温め続けるしかなかった」
水森はそう述懐するが、成長した三丘の歌声に「この子なら歌える」と確信した。
ただし、45年も前の作品。未発表曲だったこともあり、正確な歌詞が残っておらず、水森が断片的に覚えているだけだった。そこで三丘とのタッグは初となる作詞家・かず翼が、当時のイメージに合わせて物語を完成させた。
「歌ってみたら、思っていた以上にハマりましたね。こういうリズムパターンは歌ったことがなくて、自分ではもっと苦戦するかと思っていたんですけど、意外と自然に馴染めました。僕は五木ひろしさんがとても好きで、初期の作品の世界観がちょうどこの年代なので、あらためて聴いて勉強しました。1960年代に演歌が流行って、1970年代に入るとドラマチックな歌謡曲が注目されました。テンポ感も今どきの歌謡曲にはないものです。ですから、『よこはま埠頭』ではたくさん練習しましたね。“あの娘はどこにいる カモメに聞いたって ピヨロピヨロと 啼くばかり”のところが特に難しくて、早口言葉になるんじゃないぞってレッスンでもずっと言われていました。かみ締めて、たださりげなく歌う。そのあんばいが難しいんですが、いい感じで渋くなったかな」
「『よこはま埠頭』は、心のどこかにずっとひっかかっていた歌です。誰にでも歌えるような歌ではなく、温め続けるしかなかったのですが、三丘の歌声を聴いて、この子しかいないと確信をしました。『そんなもん人生』もこれまでにない歌に仕上がっています。とても楽しみです」・・・水森英夫
水谷千重子の鋭い観察眼
レコーディングやミュージックビデオの撮影には、トータルプロデューサーである水谷千重子も同席した。
三丘と水谷の出会いは、水谷の友人(!)友近が司会を務めていた演歌バラエティ番組『エンカメ-THAT’S ENKA TAINMENT- 』(朝日放送)のロケだった。進行役のお笑いタレント・藤井隆や水谷と一緒に一日中大阪を歩いて、女子プロレスのジムに行ったり、激辛の麻婆豆腐を食べたり、ポールダンサーに会いに行ったりする“はちゃめちゃ企画”。ロケの最中に水谷から「即興で歌を作って、みんなで歌いなさい」という無茶ぶりをされたことで、とにかく個性的で面白い人だという印象が三丘の心に残った。
「水谷先生の破天荒さと率直さ、見たことや感じたことをストレートに表現する物言いが面白くて、いつかコラボレーションしていただきたいと思っていました。やっと念願が叶いましたが、まさか『そんなもん人生』の作詞までしていただけるとは思っていませんでした。歌の主人公は水谷先生いわく“些細なことは気に病まないオッサン”らしいんですけど、僕はまさにこのオッサンと同じようなマインドで生きています。“いやいや惚れた腫れたより 明日が晴れたらそれでいい”という歌詞がありますが、まさにそんな気持ちです。きっと水谷先生は、鋭い観察眼で僕のことを見ていてくださったんでしょうね。一見コミカルだけど、すごくメッセージが込められている歌詞は、芸歴50周年の水谷先生ならではの深さです。水森先生も、水谷先生のご友人の友近さんが出ているドラマを観ていらっしゃって、二人で話が弾んでいました。さすが大御所同士(笑)」
相変わらず“無茶ぶり”アドバイス
もう一曲のA面「そんなもん人生」は、水谷千恵子が作詞に挑戦した人生応援歌だ。ただし、三丘が言うように、人生を軽快に笑い飛ばす。
たとえば、こんな具合だ。純喫茶のべっちん生地のソファーに座っている主人公(オッサン)。べっちん生地に指で何かをなぞっている。そこにカランコロンと、扉が開くドアベルの音がする。ドラマや歌の世界では待ち人が来るシーンが定番だ。だが、水谷の作品では、恋もしていないのに、来るわけないでしょ。でも、人生そんなもん、というわけだ。
「べっちんを指でなぞったら、“あの人はどうしているかしら”って、恋が絡むのが普通の演歌なんですけど、この曲は誰のことを想うわけでもなく、開き直ってすっからかんな感じです。そんなことで何を悩んでいるのか? 今の幸せで満足していればいいのにって。滑稽さと、納得させられる真面目さのバランスが絶妙な歌詞なんです。僕はあきらめ系のタイプなので“そんなもん”っていう言葉を結構使います。“こんなもんでしょう”って言ったりね。達観してるわけではなく、“まあそんなもん”って割り切ってからのスタートだから、一歩踏み出すための“そんなもん”なんですよね。いろいろあるけれど、人生ケセラセラ。何かあってもそんなもん、何もなくてもそんなもん、それが人生なんだと。これはすごく共感できる歌詞だと思います」
ちなみに昭和の時代、純喫茶によく置かれていたのがべっちん生地のソファーだ。毛羽立たせた生地には逆目があり、指で撫でつけると色が変わって見える。昭和世代なら懐かしいアイテムを歌詞に盛り込むあたりが水谷らしいが、平成生まれの三丘は“べっちん”がわからず、水谷から教えてもらったという。
レコーディングでは、歌唱に関することは水森英夫にすべて委ねられたが、ビジュアル的な演出では水谷が本領を発揮した。ただし、相変わらず“無茶ぶり”アドバイスが多かったと、三丘は笑う。
前奏のクイーカ(サンバなどに用いられるラテン楽器)の音色に「オランウータンがいるわ!」と盛り上がり、軽快なリズムに乗って歌う部分では「ノリノリで! 何なら振り付きで歌ってもいいわ!」と、無茶ぶりが炸裂していたそうだ。
「翔太ちゃんは、昭和にも平成にも令和にもなれる子! 今、翔太ちゃんが歌うから面白い! って感じの曲に仕上がったと思うわ! よろしくお願いします」・・・水谷千恵子
師匠・水森英夫の大きな期待
三丘は、師匠・水森の若い頃と背格好が似通っていると言われるという。歌声の雰囲気も似ており、所属レコードのレーベルも、師匠が「たった二年と二ヶ月で」をヒットさせたテイチクレコードだ。水森の作曲作品「星影の里」でデビューして以降、水森が初めて作詞をした「面影今いずこ」、水森がこれまで作曲した中で最も難易度が高いと言われる「酒しずく」、そして“歌手・水森英夫”の幻のセカンドシングル「よこはま埠頭」と、水森と三丘の間には深い縁が感じられ、水森の愛弟子に対する大きな期待も感じられる。
「来年1月にはデビュー7年目に入るので、このシングルともに7年目を歩むことになります。『よこはま埠頭』をいただいたのがデビューして1、2年目の頃だったら、潰れてしまったかもしれないですけど、コロナ禍を経てこういう時代を生きて、僕もちょっとずつは成長しています。プレッシャーもありますが、『よこはま埠頭/そんなもん人生』を背負える力も付いたはずだと信じて頑張りたいですね。横浜を舞台にした歌はいっぱいありますが、『よこはま埠頭』もその中のひとつに数えてもらえるようになって、自分の地元に錦を飾れたらいいなと思います。『そんなもん人生』は、演歌に馴染みのない若い世代にも共感してもらえそうな作品なので、今までのお客様よりも広い世代、広い層にアピールしていきたいですね」
両A面シングル「よこはま埠頭/そんなもん人生」は発売と同時にヒットの兆しを見せ、とくに音楽聴き放題サービス(サブスクリプション)で快進撃を続ける。11月30日には、28歳の誕生日を迎え、「前に出ることが苦手だった僕ですが、もっともっと前に出る主役の28歳でいこう! と決意を新たにしました」と語り、演歌界の主役へ名乗りを上げた。
(夏見幸恵=文)
2021年11月17日発売
水谷千重子がトータルプロデュース
三丘翔太「よこはま埠頭/そんなもん人生」
「よこはま埠頭」ジャケット
「そんなもん人生」ジャケット
三丘翔太の「よこはま埠頭/そんなもん人生」は、芸歴50年を誇る大御所・水谷千重子がトータルプロデュースした両A面シングルだ。「よこはま埠頭」は、1976年に「たった二年と二ヶ月で」で、“水森英夫”として歌手デビューを果たした三丘の師匠・水森英夫が、体調を崩して発売を断念したセカンドシングル。45年の時を経て、愛弟子が幻の作品に魂を吹き込んだ。「そんなもん人生」は、三丘の才能に惚れ込んだ水谷千重子が自ら作詞を担当した話題作。水谷の豊富な経験と情熱が、コロナ禍で閉塞感にあふれる演歌界を軽快に突き破る曲に仕上がっている。
Profile
三丘翔太(みつおか・しょうた)
1993年11月30日、静岡県生まれ。同県藤枝市で生まれ、神奈川県横浜で育った。カラオケ喫茶を営む祖父母の影響で演歌に興味を持ち始め、初めて歌った演歌は大泉逸郎の「孫」。高校一年生の時に出場した『NHKのど自慢』で北島三郎の「北の漁場」を歌ってチャンピオンになる。その直後に出場したカラオケ大会で、審査員だった作曲家の水森英夫にスカウトされて師事。2015年3月、五木ひろしの推薦歌手としてBS朝日「日本の名曲 人生、歌がある」に出場、デビューのチャンスを掴む。2016年1月20にち、「星影の里」でデビュー。2017年10月、今後の活躍が期待される新人に贈られる「日本作曲家協会 奨励賞」を受賞。歌謡曲のレパートリーは1000曲以上あり、懐メロのカバーアルバム『翔太のお品書き』『翔太のお品書き2』が発売中。好きな歌手は北島三郎、五木ひろし、天童よしみ。好きな食べ物は枝豆。趣味のひとつに、蝶ネクタイ集めがあり、三丘のトレードマークとなっている。また『NHK紅白歌合戦』に詳しく、YouTubeの「三丘翔太ちゃんねる」では歴代紅白を解説している。
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