田中あいみのスーパースターへの道~「孤独の歌姫(シンガー)」でデビュー!~

田中あいみ2021年11月10日、「孤独の歌姫(シンガー)」でひとりの女性が歌手デビューした。天から与えられた個性的なソウルフル・ボイスと高音が魅力的な逸材だ。2019年の「日本クラウン演歌・歌謡曲新人歌手オーディション」でグランプリを獲得し、細川たかしの門下生となった。号泣したあの日を境に、人生が180度変わってしまった田中あいみの「スーパースターへの道」を紐解く。

 

スーパースターへの道
~人生が180度変わる~

夢の世界でふわふわ

「あんなに号泣したことはなかったですね。あれが初めてのオーディションだったんですよ。おじいちゃんやおばあちゃんが参加するような関西のカラオケ大会ぐらいしか出たことがなかったんです。レコード会社主催の大きなオーディションへの挑戦は人生初でした。『16番、田中あいみ』って呼ばれて、えーッって!!! 旅行を兼ねて出場したオーディションでした。あのあと母が大好きディズニーランドへ行く予定で、『あんた、がんばりや』みたいな軽い感じだったんです。だから名前が呼ばれた時は、びっくりですよ。こんなにも人生180度変わるなんて!」

田中あいみは2019年6月、都内で行われた「日本クラウン演歌・歌謡曲新人歌手オーディション」の決勝大会に出場し、グランプリに輝いた。作曲家・西つよしの作品で、一葉の「涙のリバー」を天性のソウルフル・ボイスで歌い、審査員の高い評価を得た。京都在住。高校を卒業し、大学生になったばかりの18歳。予選と同じように、高校の制服姿で歌った。

田中あいみ

メイクもせず、素のまま出場し、「涙のリバー」を歌った田中あいみ。あどけない少女からは信じられないような歌声を響かせた。

「親戚や友だちから、『おめでとう!』『ニュース載ってるで~』って、じゃんじゃん連絡が来まして、違う世界に入ったと思いました。ディズニーランドへ行ってもそわそわして、夢の国に来たけど、今、味わってきたぞ。夢の国でふわふわしている場合じゃないぞと感じていました」

三山ひろしや中澤卓也などが「日本クラウン演歌・歌謡曲新人オーディション」から歌謡界に羽ばたいている。

田中あいみの代名詞

田中あいみの出番は最終組だった。過去に出場したことがあるカラオケ大会では、歌がうまい人が最後の方に歌うことが多かった。自分の番号が飛ばされ、準グランプリが発表された時、「ダメだったか」と諦めた。だが、“16番、田中あいみ”と呼ばれ、「番号が戻ってきたけど、そんなことあるの?」と驚き、パニックになったという。

「パパ、やったで」と思わず叫んでいた。

「父親は芸能が大好きですごく応援してくれていましたし、私もパパが大好きで、感謝の気持ちが大きかったんです。だから、『パパ、やったで』って。でも、あとで母親が『なんで私じゃないの? こういう時はたいがいお母さんやろ』って(笑)。なんで、パパだけなん? 産んだのウチやけどって、ちょっと怒られました。パパ、ママ、両方言ってと(笑)」

ニュースでは、“18歳、現役大学生。夢はスーパースター!”と、田中あいみの優勝を報じた。

「歌唱したあとの質疑応答では、だいたい皆さん同じ回答でした。関西人としては、おもろないなと思っていたんです(笑)。おもろないだけで、ウズウズするんですよね。だからおもしろみを兼ねて、でも、やるなら一番上を目指そうというのが本心なので、夢を聞かれた時、それなら“スーパースター”かなと思って言っちゃったんです。誰か憧れの歌手がいたとかはなくて、思わず出た答えがスーパースターでした(笑)」

初めてのオーディションへの出場でグランプリを獲得し、「夢はスーパースター」と答えてしまった田中あいみ。あれから2年半。2021年11月10日、満を持して歌手としてデビューした田中あいみのプロフィールには、「目標:スーパースター」と書かれている。“夢はスーパースター”は、田中あいみの代名詞になった。

スーパースターへの道
エピソードZERO~ウグイス嬢が歌手に!?

もしも五条くんがいなかったら

田中あいみは父親の影響で、幼少の頃から歌っていた。

「父親が、歌が好きなんですよ。3歳の時からスナックに連れて行かれて、そこでお客さんと『北空港』などをデュエットしていました。そういう幼少期の体験を経て、小学校3年生から街の歌謡サークルへ通うようになりました。きっかけは五条哲也さんのご紹介なんですよ」

2007年、日本クラウンから「さすらい おはら節」でデビューした五条哲也は田中あいみと同じ京都出身。田中の父親が当時、経営していた自動車会社の向かいが五条哲也の実家だった。

「小学校1年生の頃から知っているので、五条さんじゃなくて、“五条くん”って呼んでいるんですが、五条くんが『車ほしいんですけど』って買いに来てくれて。それがご縁でした。『僕、歌手なんですけど』と言われても、デビューされてすぐの頃だったこともあり、『誰ですか? 知らん』みたいな感じだったんですけど(笑)、父親と一緒にスナックへ行ったり、ご飯もご一緒するようになり、歌謡サークルを紹介してくださったんです。五条くんがいなかったら、歌手になってないと思います」

中学・高校は女子校へ通い、いつもクラスの真ん中にいるような女の子だった。水泳が得意で、クラブ活動では部長を務めていた。

「ハキハキしていましたが、スパルタじゃないですよ。優しいところもありますよ。・・・って、自分で言うのもあれなんですが(笑)」

場を盛り上げるのが大好き。文化祭でもあれこれアイデアを出して考えることが好きだった。

そんな学校生活を送りつつ、田中あいみは歌謡サークルに通い続けた。「日本クラウン演歌・歌謡曲新人歌手オーディション」を受ける1年ほど前、高校3年生になって作曲家・西つよしの指導を受けることになる。

「歌謡サークルの先生と西先生があるカラオケ大会の審査員としてご一緒されたことが縁になって、『歌手を目指すなら』ということで、西先生を紹介いただいたんです」

オーディションで歌った「涙のリバー」は西つよしの作品だった。「どうしてこんな日に 星が見えるんやろ どうしてこんな日に 雨は降らへんの」という歌詞で始まる悲しい恋のブルースだ。舞台は大阪・御堂筋。デビュー曲「孤独の歌姫(シンガー)」のカップリング曲としても収録された。

兵隊さんの彼氏をつくってこい

「『涙のリバー』は西先生の代表作ですが、この曲の中に、♭があって・・・。この3年ほど苦戦していました。ようやく歌えるようになったのは最近です。ブルースはノリながら歌うのが難しいですね。それにこの曲は経験したことがないような失恋ソング。西先生からは、『本を読め』とよく言われました」

「もっと感情を込めて歌うように」とも西つよしから指導されたという。だが、オーディション当時、まだ十代の田中あいみ。十代の少女が川のように涙をあふれさせながら、星空が見える御堂筋を歩くような経験をすることは、そうそうないかもしれない。

「誰が聴いても、失恋の歌だとわかると思うんですが、西先生に曲の詳しい解説を聞くと、難し!! 戦士の彼氏がいる女性の心情の歌なんだそうです。いつの時代の話って? しかも大阪が舞台? ありえへんやろって。そんな気持ちになったことない。でも先生曰く、『おまえ、兵隊さんの彼氏つくってこい』みたいな勢いでした(笑)。無理でしょう(笑)」

オーディション当時、田中あいみの中では未完成だった「涙のリバー」。

「運がよかったんです。オーディションが6月だったんですけど、4月に京都市議会の選挙がありました。知り合いの司会業の方がボランティアでウグイス嬢をやることになって、『あいみちゃんもやってみない?』と誘われて、一カ月間、ウグイス嬢を経験しました。たくさんレッスンしてもらって、情景や言葉のニュアンスひとつで、“悲しい” “うれしい”が変わることを勉強させてもらいながら、『あと何日です。皆さんのご支持・ご支援をお願いします』 『今日が最終日です、皆さん、お願いします』とか訴えて(笑)。期せずして声だけで思いを伝える練習ができたこともあって、あの時は仕上がっていたように思います。『本当に泣くんじゃなくて、泣かせるように歌え』というのが西先生の教えでしたが、それまでは意味も理解せず、叫んでいました。でも、ウグイス嬢の経験が役立ちました」

「日本クラウン演歌・歌謡曲新人歌手オーディション」には日本中から本気でプロを目指す猛者が集まる。歌がうまいのは当たり前。審査員はそんな挑戦者たちから、将来まぶしいほどに輝く原石を見つけ出す。でも、ウグイス嬢が歌手に!?

 

スーパースターへの道
エピソードⅡ~細川たかしのひと言

私の人生、トントン拍子

2019年6月、「日本クラウン演歌・歌謡曲新人歌手オーディション」でグランプリを獲得したものの、田中あいみはデビューまで2年半の月日を数えることになる。最初の関門は母親だった。

「母親が大反対でした。将来の職業として公務員を目指すように、小さい時から言われていました。『なんで、私は公務員と結婚しなかったんやろ?』って。結婚するなら、『絶対、5時に終わって帰ってくる人にしいや』ですよ(笑)」

公務員になれば生活は安定するかもしれないが、毎日定時に帰宅できる部署ばかりでもなく、コロナ禍のように社会不安が問題が発生すると、仕事も過酷になるが・・・。

田中あいみ

田中あいみが歌手になることに反対だった母親の心を動かしたのは、日本クラウンの和田康孝社長(当時)だった。「和田社長は気さくな方で、社長なのに最後はピースでしたから(笑)」(田中)

「でも、当時の(日本クラウン)和田康孝社長が母親に、『お子さんは娘であって、もう娘じゃなくなりますよ』と言ってくださって。その言葉が胸に刺さったようで、母親は『もう公務員の夢は諦めよ』って思ったみたい(笑)」

「母親の大反対」という関門を突破した田中あいみだったが、次に立ちふさがったのが、新型コロナウイルスの感染拡大だった。歌手デビューを目指して、東京と京都を行き来しながらボイストレーニングを積んだが、世の中はコロナ禍で自粛の毎日だった。

「みんなからあれだけ『おめでとう』って言われたのに、デビューできなかったらどうしよう。これヤバそうやな。ようやくデビューに向けて具体的に動けそうになったのにコロナですから。大丈夫かなとヒヤヒヤドキドキして、緊張した毎日を過ごしていました。バッチリ決まらないことが続いていたので」

停滞していた時計の針が大きく動いたのは、2000年も終わりに近づいた頃。担当ディレクターの縁で、細川たかしに会う機会を得た。細川は歌手として活躍しながら、杜このみや彩青(りゅうせい)といった若手の育成にも力を入れている。

「オーディションから1年後ぐらいに細川師匠の事務所の社長にお会いして、師匠とお会したのは去年12月。師匠が大阪の新歌舞伎座の舞台に上がられている時でした」

「うん、いいね」

田中あいみの歌声を聴いた細川は、ひと言「いいね」と言った。

「師匠の前で歌った時は緊張して震えました。でも、ヤンキーそうに見えるけど、真面目そうだなとも言ってもらえて、細川たかし音楽事務所に所属させていただくことになりました。考えたら私の人生、トントン拍子。悪いことしなくてよかった。人生、いいことばかり(笑)」

田中あいみ

細川たかしのサプライズ

細川は自らの舞台で田中あいみを歌わせ、デビューに向けて経験を積ませた。

「師匠は本当に優しくて、『これはこうしたほうがいい』など、いつもアドバイスをくださいます。名古屋・御園座の舞台に立たせていただいた時も、舞台が大きいから歩いて、もっと広く使うようにとか」

この時の一週間の劇場公演では、細川の指示で毎日、違う歌を歌った。

「『涙のリバー』は毎日、必ず歌えと。あとは、歌える曲のリストを細川師匠に見せて、今日はこれって、毎日、違う歌を歌いました」

同じ舞台に立っていた兄弟子の彩青は、そんな田中あいみを気づかってくれた。

「舞台で毎日歌うという経験がなかったので、だんだん声が出なくなってきました。『涙のリバー』は出だし叫ぶんですが、余計にハスキーになってしまいました。でも、兄さんが宿泊先近くのドラッグストアに一緒に行ってくれて、『あいみちゃん、この漢方薬がいいですよ』とか『この飴、効果ありますよ』とか紹介してくれました。年齢は年下ですが、頼れる兄です。私は一人っ子だったので、急にお兄ちゃんができた感じです」

時計の針は動き出したものの、正式デビューまでは二転三転した。それだけコロナ禍の影響は大きかった。2021年11月のデビューが決まったのは、御園座公演の少し前。今年6月だった。

「デビューが決まったよ、という報告は両親にしませんでした。そのほうがおもしろいじゃないですか!! 決まったのが御園座の直前で、師匠に両親が御園座へ観に来ているとお伝えしたら、師匠が舞台で言っちゃったんです。サプライズです! そういうの大好きです(笑)」

さぞかし両親は喜んだか?

「『え!? なんて言うた?』と驚いたようでした。後日、両親と会ったら『この前の話、ほんまなん? 聞いてないで』って(笑)。さらっと、『ほんまやで』って。カッコよく報告できました(笑)。両親は大喜びで、『ようやくやわ』って親戚中に電話しまくっていました」

2021年11月10日、田中あいみは「孤独の歌姫(シンガー)」でプロ歌手として一歩踏み出した。夢はスーパースター!!

田中あいみ

 

スーパースターへの道
エピソードⅢ~「孤独の歌姫(シンガー)」

歌手・田中あいみワールド

「デビューが決まってからも、今年1月にデビュー、いや6月に、と二転三転しました。コロナの影響が大きかったですね。デビュー曲もできあがって、レコーディングも終えて、さあ、これからだと思って待っていたんですが、デビュー日が決まりませんでした。11月のデビューが見えてきた時でした。『孤独の歌姫(シンガー)』という曲ができあがってきました」

田中あいみの正式なデビュー曲は「孤独の歌姫(シンガー)」となった。たかたかしが作詞し、西つよしが作曲を手がけた。歌手・田中あいみの世界観を表現したと言ってもいいような作品だった。

「新宿・歌舞伎町を舞台に、ひとりで生き抜く強い女性を描いた作品になっています。いろいろなことがあっても、ひとりで生きる! という強いメッセージも含んでいます」

歌唱力を武器に世の中を生き抜くひとりの女性。時代は昭和。流れてきたのは5年前。トランクひとつで不夜城・歌舞伎町にたどり着き、さまざまな過去を背負いながらも、夜ごと歌い続ける歌姫(シンガー)の生き様を、21歳の田中あいみが個性的で魅力的なソウルフル・ボイスで歌う。

「歌の世界をすごく勉強しました。たか先生からは、『あいみちゃんが歌い上げてくれたら、僕は満足なんだよ』って言っていただけましたが、こんな経験ないですからね。夜の新宿・歌舞伎町なんてミュージックビデオの撮影まで行ったことなかったですし、ひとり暮らしの経験すらないので、世界観が似た映画をたくさん観ました。この前、撮影してくれたカメラマンさんが言っていたんですが、歌詞に出てくる男性の名前がジョージって、今、ないよねって。平成でも言わないのに、今は令和ですからね。でも、昭和の世界観が広がる素敵な作品をいただきました。歌姫とか書いて、シンガーって読ませるのもいいですよね」

デビュー曲は歌手にとって、いつまでも相棒として歌っていくことになる。田中あいみも、ずっと歌っていけるように、西つよしにこんな相談をしたという。

「『孤独の歌姫(シンガー)』は、サビの部分が最初はもっと低音だったんですが、将来も歌えるように、先生にお願いしました。『変えてみません?』って言ったら、案外さらっと『いいよ』って了承くださいました。心の中で『いいんかい!』って(笑)。代わりに“歌舞伎町”という歌詞のところはしっかり弾んで歌うように言われました」

田中あいみ

今年10月、デビューに先立ち行われたコンベンションでは、デビュー曲「孤独の歌姫(シンガー)」のジャケット写真にも登場する大型バイクに跨がってポーズをとった。

日本を代表する歌手としてオリンピックへ

デビューシングル「孤独の歌姫(シンガー)」。カップリングにはオーティションで歌った「涙のリバー」と、オリジナル曲「シニカル・レイン」が収録された。

「これが世の中に出るんだと思うと、“歌手・田中あいみ”が世の中に放たれていくんだと思うと、スーパースターは絶対に外せない夢だと再認識しつつ、一歩ずつ一歩ずつステップを踏んでいこうと思いました。送られてきたCDは車の中で、ひとりで聴きました。ようやくやなと孤独に浸りながら・・・」

不安もあったが、田中あいみ流に言えば、“トントン拍子”でここまで来た。そんな田中あいみは、今年開催された東京オリンピック2020の開会式で、MISIAが日本の歌手を代表して「君が代」を独唱した姿に感動した。

「細川師匠のように、誰もが知る歌手になりたいですね。何十年後かはわかりませんが、日本でのオリンピックで、MISIAさんを越えるぐらいに国歌を歌いたい」

普通は遠慮して「目指したい」というものだが、田中あいみは、「越える」と言った。どんな世界でも同じだが、大きなことをやり遂げる人間は目線が違う。

「開会式の時、オリンピックカラーの衣裳を着て歌われたMISIAさんを観て、日本を代表する歌手がMISIAさんでよかったと思いました。何十年後かに、日本でのオリンピックで、髪の毛までオリンピックカラーに染めて歌いたいです。越えたいです」

気負いもなくもう一度、「越えたいです」と笑顔を見せる田中あいみ。そんな彼女には、歌手として成長しても、忖度なく、いつも本音で語ってほしいと思う。

「そのスタンス、変えないでくださいね」。そうお願いした。

「そうですね、ムードメーカーじゃないですが、誰もが笑ってくれるように、ちょっとでもいいから笑わせたいですからね」

「ん? お笑いでスーパースターを目指すの?」

「関西人としては、それが抜けきれない(笑)」

すっかり田中あいみワールドにハマってしまった。細川たかしにして、“歌謡界を驚かす大型新人”と太鼓判を押す田中あいみ。まずは来年の日本レコード大賞・最優秀新人賞を目指して走り出した。

 

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2021年11月10日発売
魅力的なソウルフル・ボイス!
田中あいみ「孤独の歌姫(シンガー)
田中あいみ

「孤独の歌姫(シンガー)」
作詞/たかたかし 作曲/西つよし 編曲/竹内弘一
c/w「涙のリバー」
作詞/相田毅 作曲/西つよし 編曲/川村栄二
c/w「シニカル・レイン」
作詞/たかたかし 作曲/西つよし 編曲/竹内弘一
日本クラウン CRCN-8439 ¥1,350(税込)

「孤独の歌姫(シンガー)」は新宿・歌舞伎町を舞台にひとり生き抜くシンガーを描いた作品。カップリング曲「涙のリバー」は2019年、グランプリを獲得した「日本クラウン演歌・歌謡曲新人歌手オーディション」で歌った曲。もう一曲の「シニカル・レイン」は「男の人と別れて、ひとりで過ごす夜に、お酒で忘れようかなとするんですが、お酒を飲んでも悲しい気持ちから離れられないという女性の歌です。曲調はミディアムテンポでリズム感があります」(田中)。
ジャケット写真の撮影では苦労したという。
「苦戦しましたね。いろんなパターンの田中あいみを撮影したんですが、事務所の社長がもっとやさぐれ感があってもいいんじゃないかって。『バイク、呼んじゃおう』って(笑)。それで、革ジャンとレザーパンツで行くイメージも固まりました。元々、ギャルだったんで、このやさぐれ感では自分のイメージカラーが出せていると思います(笑)。カッコいい感じが好きです。社長との息もぴったり!!」(田中)

田中あいみ「孤独の歌姫(シンガー)は音楽配信サービスでも聴くことができる。
▶田中あいみ 配信サイト

 


田中あいみ

profile
田中あいみ(たなか・あいみ)
2000年7月26日、京都府生まれ。幼少期より両親の影響で歌謡曲や演歌に触れる機会が多く、桂銀淑の歌声に心打たれた。小学校3年生の時に京都市内の歌謡サークルに所属し、カラオケ大会などに出場。中学・高校は女子校に通い、ムードメーカーとしていつも中心にいるような存在。水泳が得意で、部活では部長を務めた。高校の時、作曲家・西つよしの指導を受け、歌手を目指す。2019年、初めて挑戦した本格的なオーディション「日本クラウン演歌・歌謡曲新人歌手オーディション」でグランプリを獲得。2000年、細川たかしの門下生となり、2021年11月10日、「孤独の歌姫(シンガー)」でデビュー。現在、大学に在学中。趣味はネイル。夢はスーパースター。デビュー前の4月から東海ラジオ「田中あいみ はんなりラジオ」(毎週土曜日28:15~28:30)にレギュラー出演中。

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