【マキマキ 歌の交差点!】鏡五郎さん「男富士/昭和川」
鏡五郎が両A面シングル「男富士/昭和川」を発売した。鏡らしい力強い「男富士」と、鏡の世代の思いを代弁した「昭和川」。今年、歌手生活55周年を迎える鏡が熱望した両A面だった。長年、親交のあるマキマキこと牧野尚之が鏡の今の気持ちに迫る。
“キングレコードの鏡五郎ここにあり!”
牧野 今日は、ベテランの鏡五郎にいろいろうかがっていこうと思いますが、2021年はなんと喜寿をお迎えになる! この若々しさの秘訣などもお聞きしていきたいと思います。鏡さん、よろしくお願いします。
鏡 よろしくお願いします。
牧野 鏡さんとも同じステージをずっとね。長いお付き合いですけれども。そんな中で司会もさせていただいて。
鏡 もう何十年ですね。牧野さん、歌も歌うしね。春日八郎(笑)……。
牧野 私のことはいいんですよ(笑)。鏡さんは、昭和19(1944)年生まれ。
鏡 6月8日生まれです。三門忠司さんもそうだし、渡辺要さんもそうだし、けっこう同じ歳の仲間もいるんですよ。
牧野 皆さん関西での仲間ですよね。昨年は5月に新曲「おわら風の盆」も出されましたが、コロナでキャンペーンなどもなかなかできなかったですよね。
鏡 (2020年)3月1日に鹿児島でショーをやってから、それから8カ月まったく仕事がなかったですね。
牧野 お客様が半分になってやっと動き出したのが昨年10月ぐらいからですもんね。それでも無観客やいろいろ配信などを使ってなさる方もいらっしゃいますけれど、これもかぎりがございますからね。本当に今後どうなっていくのか、増えつつもあるそうですが、でもね、これはやっていかなきゃだめですよね。
鏡 本当ですね。舞台の人はね。しかし2020年は妙な年でしたね。
牧野 自粛期間、鏡さんはどう過ごされていたんですか。
鏡 娘と仲良くなりましたよ。家にいることが多かったんで、娘がやさしくなってね。それはよかったなと。
牧野 ステイホームのおかげですね。
鏡 そうそう。だから悪気ことばかりではなくていいこともありましたね。
牧野 思い出に残る2020年。でも、2021年は先ほども申しましたけども、鏡さんは喜寿を迎えられて、そして歌手生活が……
鏡 55周年ですね。
牧野 55周年ですよ、皆さん! 振り返られていかがですか。
鏡 休みなくでしたね、昭和42(1967)年にデビューしてから。レコード会社は変わったりしましたけど、現在のキングレコードに入って35年目ですね。いい会社に入れてもらったと思っています。新曲をどんどん出していただいてね。年に2枚ですよ。
牧野 確実に出してますよね。私ね、ある時に“キングひとすじ”って言わせてもらったくらい、“キングレコードの鏡五郎ここにあり!”と、いう感じがいたしました。今でもしてますよ。
「昭和川」は、僕の生き様そのもの。血の通う歌です
牧野 さぁ、そんな中で新曲「男富士」「昭和川」についてお聞きしたいのですが、今回は両A面なんですね。
鏡 そうなんです。これは「男富士」がもともと(表題曲として)作られた曲でね。「昭和川」はカップリング曲ということだったんですが、出来上がったらね、とんでもない。「昭和川」のほうがいいんですよ。あまりにも「昭和川」が自分の実体験と似ている、生き様と似ているということでね、感動がすごくありました。それで、両A面にしてもらえるようお願いしましてね。念願が叶いました。僕が惚れ込んだんですよ。自分の母親のことも出てきますし、昭和の時代のことも出てきますしね。作ったのが佐野文香さんという女性のシンガーソングライターなんですが、この方もお母さんと二人で育ったので、境遇がよく似てるんですよ。やっぱりね、血の通う歌になってるんですよね。作り物じゃない。そこに感動しちゃってね。南郷達也さんのアレンジも素晴らしい。
牧野 スタートからしっとりと始まる感じですよね。
鏡 何回聞いても飽きないの。これは聴けば聴くほど良くなりますね。とくに昭和生まれの70代から90代の方は泣けますね。この歌は母親を思い出して歌ってもらえたら一番いいですね。
牧野 鏡さんの歌の世界の中でも、男唄があり、いわゆる女性と男性の熱き思いを歌った歌もありますが、こちらの歌はそうすると“心の故郷”を歌われているというような……。
鏡 そうですね。だいたいが台詞ものとか、忠臣蔵ものとか多いんですよね。こういう自然体の歌ってなかなかなかったんですよ。色っぽい歌とか、抱いた抱かれたとか、別れた切れた、早く寝ましょうとか(笑)。そんな寝間の話が多かった。なんで俺の顔見たらそんな歌ばかり作ってくるんだって。よっぽどスケベな顔してるのかって(笑)。
牧野 でも艶歌の“川”もありますが、この「昭和川」の“川”は艶歌の川ではない。
鏡 人生の“川”です。親を思うと言うのかな、昭和を懐かしむ。一番なんかこう、年齢を重ねてきて感じる歌なんですね。若い頃だったらこの良さはわからなかったと思うんだけど、やっぱり70も過ぎたらいいなと思ってね。いい歌をいただきました。
牧野 ご本人がいち押しの作品なんですね。
鏡 それでね、このミュージックビデオ撮影の時に監督がお母さんの写真をぜひ載せたいっていうことで、僕の母の60歳くらいの時の写真がMVにも映っていますのでご覧になっていただきたいと思います。
牧野 お母さまがずっと鏡さんの衣装を作っていらしたんですよね。
鏡 着物を縫ってくれていました。本当に頑張れ、頑張れってね、歌手生活を応援してくれていましたからね。亡くなって10年ですけどね、温もりというか母親の思いっていうのはますます強くなってね。親がいたからここまでやれたなと思います。
牧野 そうした想いも込めて、レコーディングに臨まれたと思いますが、レコーディングの時はいかがでしたか?
鏡 レコーディングの時はあんまり入れ込まなかったですね。逆に前半三行は淡々と、後半の二行はしっかり感情を入れました。その程度でよかったかなと思いますね。
牧野 私も聴かせていただきましたが、鏡さんのおっしゃるように本当に出だしからのね、しっとり感から自分がその世界に入っていける。私自身もこの年齢になったからそう聴けるのかもしれませんね。
鏡 若い時はわからないんですよね。やっぱり70過ぎたら人生経験もいろいろあって、歌もそうですけれど……深くなってきますよね。
牧野 なるほど。さぁ、いろいろと聴かせどころをお聞きしましたが、中でもここのところはちょっとやっぱり打たれたなという歌詞はありますか?
鏡 出だしのまずね、「苦労と我慢を水面に浮かべ」。みんな我慢してますよね。歌手生活だって忍耐というか我慢することは多い。そういうことも含まれていますしね、いい昭和の時代だったなという回想もある。いろんなことが昭和の時代にはありましたよね。それがこの曲に集約されていてとてもすばらしい。だから後世に残したいっていうか、自分の代表作にしたいというのもあるんですけども、それよりも自分の生きた証の歌だったなみたいな、そういうふうになれたらいいなと思います。
牧野 平成が過ぎて令和になって改めて昭和の良さを思い出すという……なんかそういう言葉を最近よく聴くようになりましたね。
鏡 汗かいて仕事してましたよね、みんな。昭和はね。
牧野 すべてが燃えてましたね、夢に向かって走ってましたもんね。だからこそまた振り返るといいなぁと思うことがいっぱい出てくるんでしょうかね。
これからも一生懸命、演歌に真面目に取り組んでいきたい
牧野 両A面ですから、「男富士」の方もぜひ語っていただきたいと思います。
鏡 「男富士」もいいですよ。スケールの大きな豪快な男唄。本来の鏡五郎の歌ですね。
牧野 この曲は作詞家・下地亜記子先生の遺作になりますかね。そして、山崎剛昭先生作曲。もう山崎先生の作品とは……。
鏡 もう20年続いてますね。僕の担当ディレクターの作り方っていうのは、歌謡曲は作らない。ど演歌を作る。大衆の歌を作る。そういうポリシーを持っている。
牧野 これこそ鏡五郎のど演歌だと。
鏡 そうですね。
牧野 55年休まず歌われてきて、いつかはコロナもたぶん薬ができてね、収束はしていくでしょう。いつまでもこんなのは続かないと思うんですが、これからの意気込みなども聞かせてください。
鏡 そうですね、昨年はまったく休みましたんでね、今年は55周年。またしっかり舞台をやりたいですし、いろんなことをやりたいですね。
牧野 “鏡五郎ここにあり!”という気持ちで今年も頑張っていただきたいと思います。12月9日に新曲を出されました。両A面でございます。「男富士」、そしてとくに鏡さんいち押しの「昭和川」。両方皆さん歌ってください。そして応援をよろしくお願いいたします。鏡五郎にどうぞ皆さん大きな拍手をプレゼントしてあげてください!
鏡 55年目に入りますけどもこれからも一生懸命、演歌に真面目に取り組んでいきたいと思いますし、健康に気をつけながら頑張ります。どうぞ応援よろしくお願いいたします。
牧野 ありがとうございました。
2020年12月9日発売
鏡五郎「男富士/昭和川」
タイプの異なった2曲が楽しめる鏡五郎の両A面シングル。「男富士」は高くそびえる富士山を前に、自らを奮い立たせる、スケール豊かな“自分への応援歌”。本来の鏡五郎の世界を感じられる力強い一曲。「昭和川」は、令和という新時代を迎え、これまで生きてきた古き良き”昭和”という時代への複雑な想いがしんみりと味わい深く綴られている作品。
Profile
鏡五郎(かがみ・ごろう)
1944年6月8日、大阪府生まれ。1966年、オーディション合格を機に、1967年「嫌んなっちゃった東京」でデビューを果たす。時代劇などで俳優としても活躍しながら歌手活動を行い、1985年にキングレコードへ移籍。1988年、「おしどり人生」がヒット。以降、ベテラン歌手としてのキャリアを築き、今年歌手生活55周年を迎える。