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【記録】服(まつろわ)ぬ種族の作詞家・もず唱平――2026年8月8日、米寿の決起集会

2026年8月8日、大阪・心斎橋。地下鉄 御堂筋線の心斎橋駅地下1階にある南改札を抜けると、心斎橋PARCOのエントランス付近にゴジラの像が鎮座していた。

1955年に公開された映画「ゴジラの逆襲」で大阪に初襲来した際の姿をモチーフにしたというその像を見ながら、ある一つの符合に気づく。3日前の8月5日に発売されたばかりのアルバム『服(まつろわ)ぬ種族の作詞家 もず唱平自選集』の8曲目には、もず唱平が作詞し、加瀬邦彦が作曲を手掛けた『ゴジラのお嫁さん』が収録されているのだ。

この場所を記念公演の会場に選んだのは単なる偶然なのか、それとも稀代の作詞家が仕掛けた密かな演出なのか。そんな想像を巡らせながら心斎橋PARCO内のイベント会場「SPACE 14(スペース・イチヨン)」の扉をくぐると、250席の会場はすでに満席となっていた。

客席には日本維新の会幹事長の中司宏衆院議員、公明党参院幹事長の石川博崇参院議員、元官房長官・元文科相の平野博文氏をはじめとする政財界の関係者が多数顔をそろえている。歌謡曲のコンサートとしては異例の光景である。

しかし、この日の主役であり、88歳の米寿の誕生日をまさに今日迎えたもず唱平本人は、ステージには立たなかった。彼は「今日は歌が主役、歌の中の主人公が主役だから」と言い、客席から静かにステージを見守ることを選んだのである。

もず唱平は1938年8月8日、本人の言葉を借りれば「8時8分」に生まれた。19歳の時に詩人であり英文学者、そして流行歌の作詞も手掛けていた喜志邦三氏に師事する。20歳になったある日、ミナミの酒場でふたりきりで酒を飲んでいた際、順風満帆に見えた恩師から思いがけない告白を受けたという。

「自分の略歴からは消したが、実は大失敗をして、今も悔やんでいる」

それは戦前に依頼されて書いた「潜水艦」という歌のことだった。国威発揚の狙いがあることは即座にわかったが、断り切れなかったのだという。戦後十数年が経っても消えない師の深い傷に触れた彼は、師から一つの教えを授かる。

「思想や文芸など、思いを世の中に発信する場合は、雁行したら、いかん。群れを成すことが一番、恥ずかしい。たったひとりになったとしても『間違っている』と言わなくてはいけなかった」

この言葉が、彼のペンネームの原点となった。群れることなく、キーキーと悪声で鳴く鳥である「百舌鳥(もず)」が、「平」和を「唱(うた)」う。もず唱平という作家は、恩師の後悔と決意から生まれたのである。(参考:2010年4月23日 朝日新聞夕刊「見聞考」)

だからこそ彼は、王道の流行歌やきらびやかな恋愛を歌うことには向かわなかった。「北国の春」などの国民的ヒット曲で知られる作詞家・いではくは、かつて「もず先生は恋の歌は書けない。書いても売れない」と指摘したことがある。もず唱平本人はその言葉にたいそうご立腹だったというが、この客観的な指摘こそが、彼の作詞家としての立ち位置を正確に表している。彼は恋の歌ではなく、社会の片隅で理不尽な運命を背負いながら生きる人々の泥臭い人生を書き続けてきたのだ。

もず唱平 88フェス

「88 Years Festival~もず唱平 自選集作品発表記念公演~」の幕開けは、会場に流れる『河内の子守唄』のBGMから始まった。続いてスクリーンには、テレビ大阪が以前制作し、もず唱平が2024年に「大衆音楽の殿堂」入りを果たした偉業などを紹介して放送した映像が映し出される。また、今回の公演のチケット収益は全額、特定非営利活動法人アジアフレンドシップウェイブに寄付されることになっていた。

もず唱平 88フェス

「大衆音楽の殿堂」入りしたもず唱平の足跡が展示された、東京・渋谷区の古賀政男博物館を訪問する川中美幸。(テレビ大阪『ドキュメンタリー7』の1シーン)

このオープニングからすでに、もず唱平が自身の米寿を単なる祝賀の場にするつもりがないことは明確だった。自選集CDの中には、音楽評論家の小西良太郎氏が生前したためた文章が掲載されている。一部を抜粋する。

「もずは日本の子守唄が語り伝えてきた嘆きのあれやこれやを調べ回りつつ、子守唄の多くが子守をする『守りっ子』の怨み歌であることを知ってたようである。貧しい家の子が子守りをして働き、15歳で年季が明けると次は女中奉公。果ては女郎奉公に出ることもしばしば。もずは、今も貶められてきた領域のあることを知っていて、そこに焦点を合わすことを、心得ているようである」

もず唱平が書くのは、貧しさや時代、生まれた環境といった自分ではどうにもならないものによって、普通の生き方から外れざるを得なかった人間たちの歌である。今回の自選集のタイトルにある「服(まつろわ)ぬ種族」とは、長いものに巻かれず、権力に与しない人々を指す。ディレクターの坊井江里奈氏が語るように、もず唱平はただ弱者を思いやるだけでなく、その中に入り込み、同じ目線で理不尽な社会の仕組みを冷徹に見つめてきた。

もず唱平 88フェス

司会を務めた小池可奈。「88 Years Festival~もず唱平 自選集作品発表記念公演~」の語り部のひとりでもあった。

もず唱平 88フェス、鳥羽一郎、川中美幸、中村美律子、成世昌平

記念公演冒頭、ステージに登場した4人(左から成世昌平、川中美幸、鳥羽一郎、中村美律子)。もず唱平の作品を長く歌い続けてきた。鳥羽は「歌手は影武者です」と発言。主役は歌の主人公だという、もずの考えに賛同した。

ステージにはスクリーンが用意され、そこで歌われる歌詞が大きく映し出された。コンサートの進行中、司会の小池可奈と歌手たちの会話の中で幾度となく確認されたのは、もず唱平が常に弱者の立場に立ち、体制に抗いながら詩を紡いできたという事実だ。と同時に、スクリーンに浮かぶ文字と歌手たちの肉声を通して、世間から見過ごされ、失われていく「生きた言葉」が、歌詞の中に確かに残されていることが客席に示されていった。

その言葉を背負うようにして、最初のに登場したのは朝花美穂だった。彼女は近年もず唱平が楽曲を提供している中で最も若い世代の歌手の一人だ。

歌唱したのは、封建時代の貧しさの中で身を売るしかなかった女郎をテーマにした『しゃくなげ峠』と『銀のかんざし』の2曲。司会の小池から「詞の意味は全部理解できましたか?」と問われた彼女は、「もず先生に丁寧に教えて頂き理解できました。今日は先生に頂いた銀のかんざしをしてきました」と自身の髪飾りを披露した。

もず唱平 88フェス、朝花美穂

もず唱平 88フェス、朝花美穂

彼女は開演前、「もず先生から作品をいただいた際、ひとつひとつの歌詞に込められた意味や情景を、丁寧に教えていただいたことが、とても印象に残っています。先生のお話を伺ったことで、言葉の奥深さや、その一節一節に込められた想いをより深く理解することができました。歌はメロディーだけでなく、歌詞の世界を表現することの大切さを改めて学ばせていただいた、忘れられない時間です」と語っていた。

平成生まれの彼女が、昭和の時代から続く言葉の重みをしっかりと受け継いでいる様子が伝わってきた。

もず唱平 88フェス、レイジュ

もず唱平 88フェス、レイジュ

続いて登場したのは、台湾の先住民であるタイヤル族出身のレイジュだ。彼女は、もず唱平が彼女の生まれ故郷である宜蘭県を訪れた際に購入して贈ってくれたという色鮮やかな民族衣装をまとっていた。披露したのは、浪花女を主人公にした『サイナラあんた』だ。

レイジュは、「昨年12月1日の台湾での凱旋コンサートへ、もず先生にお越しいただきました。公演内で先生をご紹介をさせていただいたところ、台湾のファンの方から大きな歓声をいただきました」と話していたが、今回の公演にあたっても、もず唱平から「がんばってね! 歌だけに集中すれば良いよ」と優しい言葉をかけられたという。

国境を越えて、もず唱平の言葉を歌いこなす彼女のステージは、理不尽に立ち向かう人間の普遍的な強さを感じさせるものだった。

もず唱平 88フェス、成世昌平

もず唱平 88フェス、成世昌平

次にステージに上がった成世昌平は、司会者とともに、もず唱平のよき理解者であり、2017年に84歳で亡くなった作曲家・船村徹との思い出を語り合った。そして披露されたのは『みかえり富士』だった。この歌は、ブラジル移民として夢をはせ、日本を離れて海を渡らざるを得なかった人々の物語を描いている。故郷を離れて知らない場所で生きる人間の姿は、今回のアルバムに収録されている船村徹歌唱の『夕陽の海』にも共通するテーマである。

『夕陽の海』では、45歳で父親を亡くした大阪の青年が、一家を養うために飛行機に乗って未知の海へ漁師として旅立つ。見送る者は「行くな」とは引き留めず、「お前の選んだ途だから」と背中を押す。それは仕方なく生きるのではなく、不条理な状況の中でも自分で選んだ道を歩いていく人間の姿を描いたものだ。

『みかえり富士』もまた、自分の人生を生きるために故郷を離れる人間の覚悟を歌っている。成世昌平はさらに、幼くして故郷を離れ奉公に出された恵まれない少女の姿を描いた『杏(あんず)』を披露した。ギターの池田定男、ピアノの山下憲治による生演奏の音色に乗せ、不動の姿勢で熱唱し、澄んだ歌声を届ける姿は、会場の空気をピンと張り詰めさせた。

彼は、「もず先生とは何度も歌の取材の旅をさせて頂きました。震災の被害を受けた東北地方支援にも先生と一緒に行かせて頂きました。そういった先生の心の底の優しさを常に感じていました」と語り、さらに「今回のコンサートが商業目的ではないというお話をお聞きしました」と明かしている。

その言葉通り、ステージ上で展開されているのは、決して華やかなヒット曲のパレードではなく、人間の生々しい痛みを伴う記録の提示だった。もず唱平も言う。「みんなが知っている歌は歌わなくてよろし」。

もず唱平 88フェスもず唱平 88フェス

もず唱平 88フェス、中村美律子

続いてステージに現れたのは、いつもは陽気な“みっちゃん” 中村美律子である。彼女ともず唱平の関係は、中村が「小松美津子」という芸名だった時代から続いている。

中村が披露したのは『酔っぱらって子守唄』と『親不孝伝』、そして『虫けらの唄』だ。『親不孝伝』以外の2曲は今回のアルバムに収録できなかった逸品だが、いずれも派手なヒット曲ではない。中村自身が「レコーディングの時以来、ほとんど歌ったことがない」と語る通り、長年日の目を見なかった難曲ばかりである。

「先生から『日の目を見ていない楽曲を集めてCDを発売するので、その発売記念のコンサートを行う』という連絡をいただきました。そんなことですから、先生からリクエストされたのは、これまで歌ったことのない楽曲やレコーディングしただけの曲とか、おまけに難しい曲。『歌えませんわぁ』と言ったら『あんたが歌ってくれないんだったら、この企画はキャンセルするわ』て、冗談のような脅しのような言葉をかけられました(笑)。今日歌わせて頂くので、かなり練習しました。20年ぶりです」

司会の小池が「母性の回復や虐げられた者の歌ですね」と解説を添えると、中村美律子は独特の美律子節で、その言葉の奥にある情念を見事に表現してみせた。

また、中村美律子は事前取材に応じた際、「昭和100年」という時代の変化についてこのように語っていた。

「昭和、特に戦後の昭和は活気に満ち溢れ、テレビ放送が始まり、オリンピックがあり、万博があり・・・・今にして思えば楽しい時代で、そんな時代に生まれた楽曲は、心に突き刺さるものが多くあったような気がします。令和は、何でもかんでも最初からあるし、発見! こんなことができるんだ! みたいなことが少ない気がします。AIはどこまで成長するのか、わかりませんが、AIにはついていけないけど、AIが作詞作曲する楽曲は、どうかな・・・もう言葉が出尽くしているからこれからの作家さんは大変だと思う」

この中村美律子の指摘は、もず唱平自身が現在の音楽業界に対して抱いている強烈な危機感と完全に呼応している。

記念公演のひと月ほど前、もず唱平は関係者を集めた懇親の場で、現在のビジネス構造への疑問を具体的な数字を挙げて語っていた。

日本の音楽市場全体の中で、演歌・歌謡曲側が占める割合はわずか「2対98」という圧倒的な劣勢にあること。そして、著作権料をコストとみなし、AIを用いて著作権を使わずに楽曲を大量生産して配信するビジネスモデルが台頭していること。

彼は、自身が作成した「文明の滑落」という図解資料を提示した。そこには、企業経済が「感性不要の消費最適化」を進めた結果、言葉や思想、哲学といった人間の精神活動が断崖から真っ逆さまに滑落していく未来が描かれていた。興味深いのは、もず唱平がその図解資料を作る際に「一部、生成AIを利用している」と明記していたことだ。

彼はAIの存在そのものを否定しているわけではない。自身の認知機能のテスト結果が30点満点中24点であったことに触れつつ、AIに対して失われゆく歴史用語や造語の文献根拠を尋ねた際、AIが正しい意味を答えられなかったという体験を語った。

「僕の方がAIより賢い」。そう笑う彼の言葉の裏には、ネットのデータには存在しない「市井の弱者の声」や「時代に消えゆく言葉」は、人間が人間の足で拾い上げ、血の通った歌として残さなければ消え去ってしまうというクリエイターとしての自負がある。効率と利益だけを追求し、言葉を単なるコンテンツの記号として消費する未来を、彼は「文明の滑落」と呼んで警鐘を鳴らしたのだ。

鳥羽一郎

鳥羽一郎

この日、船村徹の愛弟子である鳥羽一郎がステージに登場すると場内を和ませた。彼は内弟子時代に目撃した、もず唱平と船村徹の豪快な飲みっぷりと、遊びっぷりのエピソードを披露し、客席の笑いを誘う。

彼は公演前、もず唱平との思い出について、「私自身は、マグロやカツオの遠洋漁業に携わっていた頃の思い出が特に強く心に残っています」と自身の原点を振り返りながら、「もず先生は船村徹先生の兄弟子にあたる方でいらっしゃいます。神戸のター坊のお店のお祝いの際に、もず先生とご一緒にコンサートをさせていただいたことは、私にとって今でもとても印象深く、大切な思い出となっています」と語っていた。

鳥羽一郎、西川きよし

もず唱平 88フェス、西川きよし

鳥羽一郎は、1992年に岸和田の漁港を舞台に、海難遺児の救済を目的として制作された漁師歌『泉州春木港』を力強く歌い上げた後、もう一つの特別な楽曲『一厘のブルース』を披露する準備に入った。

この曲は、罪を犯して服役し、社会復帰を目指す人々を主人公にした歌。作詞はもず唱平、作曲は鳥羽一郎のペンネームである「島根良太郎」だ。鳥羽は歌唱を前に、客席に座っていたお好み焼き店「千房」の中井政嗣会長と、文化功労者でもあるお笑いタレントの西川きよしをステージへと呼び込んだ。中井会長は服役者を自らの店舗で雇用し続けている。

山口県の刑務所へもず唱平とともに慰問に訪れた際のエピソードが語られ、前科前歴を持つ人間の社会復帰の難しさと、そこに対する支援がいかに大切であるかが、三者の口から真摯に語られた。西川は「この前も刑務所慰問に行きまして、5時間40分もつかまりました。早く帰りたかったんですが」と会場を和ませる気遣いも見せた。

そして歌われた『一厘のブルース』。「ドブに落ちたら面を出せ 面を出したら這い上がれ 九分九厘 後がなくっても」。そこにあるのは、頑張れば夢は叶うといった綺麗事の応援歌ではない。何も持たなくなった人間が、それでも這い上がろうとする原始的な生命力そのものだった。

川中美幸

コンサートのトリを務めたのは、もず唱平が自らスカウトした門下生・川中美幸だ。彼女は12歳の時にもず唱平に見出されて歌手の道に進み、一度は挫折して夢を諦めたものの、再び声をかけられて現在のレールを敷いてもらったという恩義を抱いている。

もず唱平は、川中美幸を弟子だとは言わない。作曲家のように歌唱指導ができないからだ。だから、川中美幸は“門下生”であり、彼女にとってもず唱平は人生の導き手だった。

公演を前に、川中美幸は「昭和は時がゆったり流れていたような気がする。令和になるといろいろな意味で、時の流れがとても速く感じて、じっくりと物事を考える余裕がなくなったような…!」と時代の変化を口にしていた。彼女のステージは、過去の記憶と現在が静かに交差するような時間となった。

川中美幸

川中美幸

川中美幸の目に涙が光ったのは、1990年に中国の上海、ハルピン、北京を巡った公演の思い出を語った時だった。

「戦争の悲惨な爪痕、悲しい出来事等を身近に考える、大きなきっかけとなりました」

そう語る彼女が披露したのは『櫻 中国・東北地方の養父母に捧げる』である。

「逢っておいでよ 孝行しておいで お前は預かりもんだから 帰さにゃならん」

歌詞に登場する養父母の言葉は、敵国である日本人の孤児を育て上げた無償の愛に溢れている。現在、日本と中国の間では様々な緊張状態が続いており、対中国機への緊急発進は年間400回を超えるなど、ニュースでは対立の側面ばかりが報じられやすい。

しかし、もず唱平はそうした国家間の政治的な対立とは次元の違うところで、人間と人間の間に確かに存在した愛を歌に刻み込んだ。

公演後の夜、中国料理店での懇親会の終盤、もず唱平は声を荒げてこう叫んだ。

「戦争はいかんですよ。戦争はいかん。でも、日中の友好はもっと進めないかん!」

円広志が「先生は時々、ものずごい怖い」と明かしていたが、その怒りに満ちた顔と声には、周囲を圧倒する凄みがあった。

コンサートではもず唱平が船村徹に、「あなたは右翼ですな」と指摘した時、船村が「お前は左翼だ!」と返したエピソードが語られていたが、右翼でもない、左翼でもない。理不尽な戦争によって人生を変えられた人々の姿を真正面から見つめてきた彼らにとって、「平和」とは単なる反戦のスローガンではない。

それは、弱い立場の人間がこれ以上、運命に翻弄されないための祈りであり、闘いだった。

もず唱平 88フェス、いではく

そして、彼が政財界の関係者たちをこの場に呼んだ意図はもう一つある。 同日の懇親会の席で、いではくはこう語っていた。

「もず唱平が(“服ぬ種族の作詞家”として)描くような歌は売れません。売れませんが、残ります」

それは作家の信念に対する最大の賛辞だった。だが、現実問題として利益を生み、売れなくては産業として成立しない。過去に大ヒット曲を持つベテラン歌手や作家は生き残れたとしても、演歌・歌謡曲の世界に新しく入ってくる若い歌手や作家、そして彼らを支えるレコード会社は生きていくことができない。大衆音楽が歌舞伎のように歴史を踏襲しながらも、決して「古典」として博物館のガラスケースに収まるのではなく、今を生きる「大衆娯楽」として力強く生き残っていけるような支援やシステム作りが必要不可欠である。

この日、会場に足を運んだ政治家たちに投げかけられたのは、平和への祈りとともに、衰退の危機にある流行歌を「文明」として未来へ残していくために力を貸してほしいという、タフな実行者としての渾身のメッセージでもあった。

川中美幸、円広志

川中美幸は続いて、もず唱平が愛した大阪の情景を背負うように『あんたの春』を歌い、そして自身の持ち歌ではなく、2013年に亡くなった八代亜紀に提供された「立ち呑み『小春』」を締めくくりの一曲として歌った。

ここで、この日は作曲家として紹介された、シンガーソングライターの円広志がステージに登場した。彼はコンサート後の懇親会で、「コンサートではあまり日の目を見なかった、売れなかった作品を集めたと言われましたが、そんなふうにして紹介された作曲家の気持ちを考えたことがあるかーッ」と冗談交じりに怒ってみせながらも、「今日歌われた歌の歌詞をみて、やっぱりもず唱平はすごいなあと思いました」と最大の賛辞を送ることになる。もず唱平はそれに対して「ほめすぎ」と短く返していた。

もず唱平 88フェス、坊井江里奈

ステージ上では、ディレクターの坊井江里奈氏が改めてアルバム『服(まつろわ)ぬ種族の作詞家 もず唱平自選集』の製作意図を語った。

「『服(まつろ)わぬ』とは長いものに巻かれず、権力に与しないという意味です。もず先生は弱者を思いやるだけでなく、その中に入って同じ目線で理不尽な社会の仕組みを冷徹に見ておられるのです」

石川さゆり

全13曲の歌唱が終わり、ここで石川さゆりからのビデオメッセージがスクリーンに流された。彼女はアルバムにも収録されている『棉の花』を歌唱していた。

これで公演は幕を閉じるかに思われた。しかし、最後の最後に最大のサプライズが待っていた。翌日に大阪フェスティバルホールでのコンサートを控えていた石川さゆり本人が、スケジュールの合間を縫って急きょ会場に駆けつけたのだ。彼女は客席にいるもず唱平に向かって、真っ直ぐにこう語りかけた。

「もず先生が断筆宣言される直前に『棉の花』を頂きました。そんなことおっしゃらず、ぜひ次の曲の打ち合わせをさせてください」

石川さゆり

『棉の花』は、もず唱平が断筆宣言をする直前に石川さゆりのために書き下ろした、事実上の“最後の作品”だ。そしてこの曲は自選集の最後、17曲目を飾っている。

河内木綿を紡いで生計を立てた人たちの物語を背景に、安価な輸入綿によって産業が廃れ、生活のために女性たちが身を落としていったという歴史を踏まえた作品。歌詞の注釈には「この歌での『わた』は『綿』に非ず」と記されている。糸辺の「綿」ではなく、植物としての「棉」は、糸や布に加工される前の、畑で咲く純白の花である。

15歳になった妹は、19歳の時に大阪の夜の街に染まった姉を「無垢で可憐な棉の花」と呼ぶ。しかし姉自身は、自分がもうあの頃の純粋な「棉」には戻れないことを知っている。「もとの十九にしてくれりゃ」という痛切な願いは、世俗に染まり、様々な理不尽を経験してしまった人間が、それでも原点に帰りたいと願う悲しい叫びだ。

この歌が自選集の最後に置かれた意味は重い。作詞家として60年近く、世間の裏側や人間の泥臭さを書き続けてきたもず唱平自身が、最後に「加工される前の無垢な状態」である棉の花の物語に立ち返ったのだ。

「所詮叶わぬ夢ですか」。人は過去に戻ることはできない。しかし、誰かの記憶の中で、あるいは歌い継がれる歌の中であれば、その純粋な魂はいつまでも生き続けることができる。石川さゆりの「断筆宣言ってなんですか、聞いていません」という言葉は、“服(まつろわ)ぬ種族の作詞家”の魂をこれで終わらせてはならないという強いメッセージだった。

もず唱平 88フェス

公演の最後、スクリーンに『棉の花』の歌詞が映し出され、石川さゆりの歌声が会場を包み込んだ。もず唱平は最後までステージに上がることはなかった。その代わり、終演後の出口に立ち、阪神タイガースの元監督・矢野燿大の背番号「88」がプリントされたユニフォーム姿で、帰っていく観客一人ひとりを見送った。

「今日はあくまで楽曲と歌い手が主役。良き先輩や周囲の人々のおかげでここまでやってこられた。今日は歌い手の皆さんが頑張ってくれ、よいステージにしてくれました」

記念公演のあとの懇親会。出演歌手たちや円広志、いではく、荒木とよひさ、宮下健治など旧知の仲間たち、今回の記念公演をしっかり記憶してほしいと招かれた関係者に見守られながら、もず唱平は米寿を祝うバースデーケーキのロウソクの火を吹き消した。

権力に群れることなく、たった一人でも正しいと思うことを言葉にし、理不尽に耐える人間、弱い者の姿を書き続けてきた。時代が昭和から平成、そして令和へと移り変わり、AIが言葉を自動生成する時代になっても、彼が刻んだ魂の歌は決して滑落することはない。

もず唱平

左から朝花美穂、レイジュ、川中美幸、中村美律子、もず唱平、鳥羽一郎、成世昌平。”影武者”として作品の主人公の人生を届けた。

もず唱平 88フェス、もず唱平, レイジュ, 中村美律子, 円広志, 川中美幸, 成世昌平, 朝花美穂, 石川さゆり, 鳥羽一郎

88 Years Festivalのすべてのプログラムが終了したあと、出演した歌手と観客から客席のもず唱平に「ハッピー・バースデイ・トゥー・ユー」の大合唱が贈られた。

川中美幸

【川中美幸】
もず唱平先生、米寿、本当におめでとうございます。先生の、こだわりのある庶民に寄り添った歌の世界を、まだまだこれからも描き続けて下さい。そして、私を「歌の道」という素晴らしい”やりがい”のあるこの道に導いてくれた事、本当に感謝申し上げます。

鳥羽一郎

【鳥羽一郎】
これからもどうぞお身体を大切になさって、ますます素晴らしい詩を書き続けてください。

もず唱平 88フェスもず唱平 88フェス

【中村美律子】
8月8日 88歳の誕生日、おめでとうございます。これからも「社会の底辺に生きる”おんな”」の詩を書き続けてほしいと思います。

もず唱平 88フェス、成世昌平

【成世昌平】
お誕生日おめでとうございます。作詞活動をお辞めになるとお聞きしましたが、まだまだ先生の作品を残して頂きたいと思います。

もず唱平 88フェス、朝花美穂

【朝花美穂】
もず先生、88歳のお誕生日、そして選集作品発売記念公演の開催、誠におめでとうございます。先生の紡がれる言葉には、深い情景があり、メロディに歌をのせる度に、作品への想いと、気持ちが重なっていきます。これからもどうかお身体を大切に…。先生のますますのご健康とご多幸、ご活躍を心よりお祈り申し上げます。誠におめでとうございます。

もず唱平 88フェス、レイジュ

【レイジュ】
88歳のお誕生日をおめでとうございます。これからも若い人と同じパワーで良い歌詞を書き続けていただき、たくさんの人たちに希望与えて欲しいです。いつまでも元気でいて欲しいです。

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2026年8月5日発売
服(まつろわ)ぬ種族の作詞家 もず唱平自選集
もず唱平

徳間ジャパンコミュニケーションズ TKCA-75350 ¥3,300(税込)

収録曲
1. 杏(成世昌平)
2. 鯨の浜唄(浅田あつこ)
3. 一厘のブルース(鳥羽一郎)
4. 鬼さんこちら(MAYUMI)
5. 親不孝伝(中村美律子)
6. 君に涙のある訳は (円広志)
7. 銀のかんざし(朝花美穂)
8. ゴジラのお嫁さん(子門真人)
9. 櫻 中国・東北地方の養父母に捧げる (川中美幸)
10. サイナラあんた(レイジュ)
11. しゃくなげ峠(朝花美穂)
12. 立ち呑み『小春』(八代亜紀)
13. だんじり囃子(五木ひろし)
14. 人生(長保有紀)
15. みかえり富士(成世昌平)
16. 夕陽の海(船村徹)
17. 棉の花 (石川さゆり)

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